第34話   本間美術館旧館・魚拓と庄内竿(8/219/30      平成26年9月15日  

先日本間美術館の旧館・清遠閣(山形県酒田市御成町7-7 TEL. 0234-24-4311)で庄内竿の展示が行われている事を思い出して田中館長に電話して見た。館長によれば展示の内容は、その昔館長だった本間祐介氏の収集した魚拓や釣竿などを中心に展示しているとの事であった。
 特筆される魚拓がある。庄内で三番目に古い安政4年(1857年)新堀地区の庄屋と見られる加藤某の「最上川の鯉」、四番目に古いのが文久2年(1862年)から慶応3年(1867年)に釣上げた33枚の魚拓で幕末の庄内藩士氏家直綱の「鯛鱸摺形巻」と云う長さ15mに及ぶ巻物。この中に日本最古の間接法で摺られた真鯛の魚拓が一枚入っている。他に庄内藩士大瀬正山の慶応元年(1865)から明治3年(1899)までに釣上げた9枚・5mの「釣勝負絵図巻」と云う巻物、これは庄内で五番目に古いものである。これらは、今は亡き本間祐介氏が、発掘したものである。これらは全て発見当時日本最古の魚拓とされていた魚拓であった。その後庄内松山藩の家老者松森胤保「川鮒」(第2位)が最古とされ、更に天保10年に、後庄内藩主となった酒井忠発(タダアリ)の若殿時代「錦糸堀の鮒」が発見され現在これが日本最古の魚拓とされている。現在一位、二位の魚拓は鶴岡に保存されているが、三、四、五位の魚拓は、ここ酒田の本間美術館で保管されている。しかもこれらの古い魚拓は、全てここ庄内で発見されている事から、非常に貴重な物が見られるのは庄内人として誇れるものでもある。
 
釣竿の展示は一昨年だったかに一度拝見し見覚えのある昭和竿師の名人と謳われた名竿師山内善作の鱸竿(すずきざお)三間五尺、三間半の二本、黒鯛竿(くろだいざお)二間五尺九寸、二間五尺五寸、黄鯛竿(こうだいざお)二間半が三本継ぎと二本継が各一本、二歳竿(にさいざお)三本継ぎ二間一尺五寸、二本継二間一尺、天口竿(てんこざお=ソイザオ)二本継十尺、九尺五寸の合計十本が畳の上に展示されていた。
 山内善作の竿は、全体的に細長くそして堅くそれでいて根は全て見事な竿だ。善作は根が気に食わないとすっぱりと切り落とし堅い木で根を作り手に馴染むよう竹差し込み漆で塗りかためている。黒鯛竿にそんな一本が見られた。これらの竿は、師弟関係のあった本間祐介氏が釣具屋を開いていた時に、晩年の善作氏から手に入れたものであろうと推測される。
 鴨居に掛けられた小さな竿掛けに小竿五本がかけられている。上から二本継八尺のタナゴ竿(山内善作)、六尺一寸の延竿・篠小鯛竿(山内善作)、ワラジ竿・延竿五尺五寸五分(ワラジ竿と云うよりもクロコ竿・四枚合わせの削竿・平野勘兵衛)、ワラジ竿・延竿五尺四寸(伊藤某)、ワラジ竿・延竿四尺五寸九分(上林義勝)などがあった。明治から昭和初期までの作られた名竿数々は一見の価値がある。最近庄内竿の展示が無くなっている時に、数年置きにでもこのような展示がなされたのは、非常に貴重であると感じられる。もう少し大々的に宣伝出来る方法が無いものか?